HOME > 作品紹介 > 大場 松魚

大場 松魚

【現代に蘇る平文】
我が国の伝統漆工芸は、奈良時代に仏教文化と共に中国の唐より伝来し、平安時代と桃山時代に日本独自の技法として開花しました。
今日でいう「平文(ひょうもん)」の技法も「平脱(へいだつ)」という中国で始まった技法が名前をかえ、受けつがれています。「平文」の技法は、金や銀の板金を模様に切り、漆の表面に貼り付けて、その上に漆を塗り重ね板金の部分が見えるまで研ぎ出すか、または漆の膜を削り取って模様を表す方法です。
「平文」の技法そのものを奈良時代のように作品制作のうえで本格的に生かした作家は大場松魚先生が初めてであり、先生の手によって平文技法が現代に蘇ったといわれています。蒔絵の後に隠された平文の技法が今あらたに表舞台に踊り出て見事な展開を歩んでいます。
【人間国宝 大場松魚「和光の世界」】
重要無形文化財保持者(人間国宝)大場松魚氏は漆芸の加飾法のうちでも特に「平文」で卓越した技術を有しその最高峰に位する一人である。
大場松魚氏は、師・松田権六氏より与えられた伊勢神宮御遷宮の御神宝製作の仕事で本格的に平文技術を研究する機会に恵まれました。この製作により、大場松魚独自の「平文技法」を編み出しました。
大場松魚によって表現される作品は、日本の伝統美の根源である自然の風物詩を謳い上げた大和絵が中心となっており、「和光の世界」といわれています。
【漆工芸の歴史】
漆は飛鳥時代以降、中国から先進技術の導入が幾度か繰り返された後、日本の風土や日本人の生活様式・生活感覚によくマッチして我国独特の優れた漆芸技術が次第に形成されていきました。日本の漆芸が到達した一つの頂点と考えられる桃山から江戸末期にかけての時代は、今とは異なり漆器は単なる美術鑑賞の対象に止まらず、日常生活の基本的な用具として欠かすことのできない存在でした。また、唐物が尊重されたこの時代でさえ日本の蒔絵は中国で賞美され、その技術を学びに中国の工人が派遣されたといわれています。明治時代以降、生活用具として原材料と加工工程の複雑な漆器は陶磁器・ガラス、金属などに置き換えられるようになりました。
【蒔絵について】
奈良時代に荒いやすり粉を使った研ぎ出し蒔絵「未金鏤」が蒔絵の原点といわれ、平安時代以降に日本独自の精緻華麗な技法として完成しました。名称の由来は、器物の表面に生漆で絵や文様を描き、そこへ金粉や銀粉を蒔きつけて固着することからきています。
大場松魚
略歴

1946年 石川県の買い上げ作品 マッカーサー元帥夫人に贈呈
1957年 平文小箪笥 奨励賞受賞
1962年 平文鴛鴦箱を内閣が買い上げ
1967年 国宝中尊寺金色堂左右勾欄の修復に携わる
1972年 平文千羽鶴の箱を文化庁が買い上げ
1977年 石川県無形文化財加賀蒔絵の保持者に認定される
1978年 紫綬褒章受賞
1982年 重要無形文化財 蒔絵の保持者に認定される
1986年 勲四等旭日小綬章受賞
1986年 東大寺昭和大納経華厳経経篋の蒔絵製作
1992年 伊勢神宮式年遷宮御神宝製作
1995年 平文喜久盤 伊勢神宮へ献納




平文千羽鶴の箱 1973


風平文富士光々の棚 1995