2006年12月31日
12月31日 (二日目)大晦日下編
ここ最近で一番動いた日になりますが、
結果は、この後3日間筋肉痛になります…
普段の運動はホントに大事だと、今もつくづく感じます。。
==================================
まずは、昼ごはん!
ということで、レストランへ。
エジプトで食べる、初の昼ごはんですが、
とにかくパンが美味しい!!
焼きたてて、香ばしくて、幾らでも入る。
そんなパンです。
(ただ、この後毎食に出てくることに…)
パン⇒ゴマペースト⇒パン⇒チーズ、
マンゴジュース⇒パン⇒チーズ、
パン⇒ゴマ…
そんな感じでした。
いよいよ、
観光の中心地から少し離れていきます。。
まずは、車で1時間弱ほど、移動
『砂漠の国 エジプト』というイメージが、
変わるような風景が続きます。。
こんな景色を見ながら、
ガイドさんの話でこんな話がありました。
『エジプト人は食べる実のなる木の名前しか知らない、
例えば、蜜柑・リンゴとか
ほかは、すべて
『樹(もちらん、現地語)』
だから、何を聞いても
『樹』
明らかに葉っぱや幹が違っても、
『樹』
だから、言葉の少し分る観光客が、
木をエジプト人に聞いても、エジプトは同じ『樹』だらけ…。』
そんな話を聞いているうちに、目的地へ。
赤ピラミッド。。
と
屈折ピラミッド。。
近くに軍事施設があるらしく、
とにかくガランとしてます。
だだっ広い、砂漠!何もない~。
という感じです。
こういう土地は、普段から山に囲まれる京都人からすると
なんとなしに不安になってしまします。。
ただ、砂の山があるので、多少はマシか…
ガイドさんによると…
赤ピラミッドも屈折ピラミッドも、同じファラオを作ったモノです。
ファラオは通常、ピラミッドを一つしか作らないけれども、
屈折ピラミッドの完成を見て、
『曲がっているのが気に入らない…』、
ということで、もう一個製作したという
ものです。
今現在、ピラミッドを沢山見ると屈折ピラミッドの方が、
個人的には個性があって好きになれそうです。
その2つピラミッドを製作したファラオの
お気に入りの方へ移動。
その時、バスの中でのガイドさんからの一言を思い出す。
『こないだのモノよりも、しんどくて臭いです』
こないだのモノとは、カウラー王のピラミッド。
⇒http://senpukuya5.seesaa.net/article/31967750.html
まずは、外壁の登る
↓
ピラミッド内部に入って、外壁を登った分、
暗闇を中腰で降りる。
↓
さらに、もう一度降りた分を登る。
↓
その上、木で組んだ櫓みたいなものを登る
(ビル3階分くらい?)
↓
玄室へ
と、『こないだのモノ』よりも3倍くらいの道中でした。
そして、腐敗防止のアンモニア臭。。。。
外へ出た時は、
ホントに酸素が素晴らしく感じます。
ピラミッド入り口から出た風景(かなり高い!)↓
足は、パンパンです。
フラフラと降りながら、
なんとか地面へ
そして、
入り口にいたラクダ警官隊から、一言。
『ヤマモトヤマ』
日本人を見たとき掛ける、言葉だそうです。
首を捻りながら、バスへ。
一番有名なラムセス2世像を見ながら、
NO、2の大きさのスフィンクスを見ながら
(随分小ぶりでした。)
最古のピラミッド、
階段ピラミッドへ。
↓を通って、
↓到着
だんだん、無くなっていく遠近感。
人が、・です。
見慣れるピラミッド。
そんな中での最古のピラミッドです。
これまた、ガイドさんによると
最初は、ピラミッドみたいなのではなく、平面の建物でした。
ただ、その建物を守っていた外壁が、建物よりも多く、
外から、建物が見れません。
そこで、その平面の建物の上に一段、積む。
まだまだ、積む。
ということで、階段上になった。
ということです。
そして、まわりには崩れた小ピラミッドの山々。
なんとなく、哀愁漂うピラミッドの墓場。。
(まあ、一応お墓ですし)
夕方、ナイル川の上で、ベリーダンスを見て、就寝。
寝ている間、ホテルの前で、拡声器を持って、
『新年、オメデトウ~!』
と言って、その後コーランの話をしていた人がいたらしい。。
==================================
実は、足がパンパンで、大晦日ということは全く忘れ、
寝てしまっているので、今年はいつの間にか年が変わっている感じです。
日本での大晦日は、自分的にやっぱり重要だったんだ…、と思いました。
もう一つ、この辺りから、やっとエジプトにいるんだぁ。。
という実感が湧いています。
そして、明日は国が変わり、トルコへ。。
イスタンブールだ!