2008年06月13日
同柄を小物にすると印象が変わる。
帯と同じような脳の使い方では、混乱します。
となみ織物の、
展示場や会社内には、
何千、何万柄とあるのですが、
目を閉じてみても、どこに何があるか、
ざっとわかります。
反対に
自分の部屋のモノは、
どこへ行ったか、全く分からないことも
よーくあります。
帯の場合だけ大丈夫です。
ただ、
この帯を使った小物に関しては、
まだまだです。
さきほども、こんな会話がありました、
『この帯の花緒作ってないな~?』
『ないと思いますよ。』
『じゃあ作ろう!』
と言った後、
草履の職人さん所へ行くと、
ちょうど、
その帯の柄で製作した花緒を
台へ挿げているところと、
遭遇した。。。。
不思議です。
(というよりも、自分の中で気まずいです。)
帯として見るのと、
裁断して形を変えてしまうと、
『その柄』として、
把握して
いない。なかなか面白い記憶力です。
今は、
帯と小物を、『仙福屋』から、借りてきて
それをじっと見ていると
やっぱり、
同柄でも帯とは異なります。
帯地面積の小さい花緒だったりすると、
烏瓜の花緒
分らないでもないですが、
バッグや
烏瓜のバッグ
日傘になっても、
烏瓜の日傘
面積が広いといっても、
やはり
すぐに柄とつながらない、
そんな感覚をもってます。
不思議です。
帯を帯として、図案を書いて、
この幅で織り上げる。
帯を一番よく見えるところを、
裁断して、
モノづくりする小物作りとは、
大きく違います。
上手く書けないですが、
初めてそんな感覚を受けたので、
少し書いてみました。
また、
周りからなにをしているのかな?
と不思議な目を向けられてましたが・・・